『チーム解散』
殺風景な部屋のベッドに腰を掛け、リゾットは深く溜め息を吐いた。
自分らが間違っていた、とは思わない。
自分らが弱かった、とも思っていない。
きっと自分らの『時』ではなく、彼らの『時』だったのだろう。それだけのことだ。
ボスの秘密にあと一歩のところまで迫っていたはずなのに及ばなかったのは口惜しくも思ったが、それも今さらの事。
あの時はナランチャの、まさに豪雨のように降り注ぐ銃撃から逃げるのがやっとで、あの奇妙な青年を気に掛ける余裕などなかった。ただ必死でその場を逃げ切り、この隠れ家に辿り着けはしたものの、この有り様だ。
必要最低限のものしか置いていない部屋は――まるで自身の心境を忠実に再現しているかのように――、いつにも増してがらんどうな空間に見える。
アジトはギアッチョとの連絡が途絶えた時点で自らの手で火を点けたから、リゾットの手に残っているものはもう数少ない。
この部屋に着いて最初に行った仲間たちへの指示メールは、あとは送信ボタンを押せば良いだけとなっている。
送信してしまえばきっと、頭の良い彼らはこのメールの内容に込めた自身の意図を間違いなく読み取って、その指示に忠実に従おうとするだろう。
それはつまり、彼らとは――おそらく――道を違えることを意味する。これきりもう二度と再会する事は無いかもしれない。
初めから分かっていた事のはずなのに、送信ボタンを押そうとしたタイミングで仲間たちの顔が浮かんでしまい、リゾットは少しだけそれを躊躇した。
躊躇して、すぐに自嘲するように頭を振った。
全て今さらの事なのだ。
賭けに負けたのは自分たちの方だった。
それが全て。
身体中に沸き起ころうとするあらゆる思いを振り切るようにゆっくりと息を吸って、送信ボタンを押す。
こうなってしまった以上、皆捕まることなく殺されることなく、どこかで生き残れば良い。
そして出来ることならば、自分のように何かに囚われることなく『自由』に生きて欲しい。
きっとソルベとジェラートは何よりそれを望んでいたのだろうし、暗殺チーム、というより暗殺を生業としている人間にとって、それが最大の『勝利』だ。
もはや、あの組織に立てる義理などない。というより、そんな義理があったというのなら、あの二年間の日々で既に果たした、と言っても良いだろう。
メールが無事全員に送信できたことを確認してから、もう不要になった携帯電話の表面を、するり、と一撫でして、それをダストボックスに放り投げて立ち上がる。
多少心許ないメンバーもいることはいるのだが、いまさら全員の安否を確認し、その面倒を見て回ることはできない。
『チーム解散』という指示のメールを送った以上、送った本人が『失敗』したら笑い話にもならないのだ。
地獄でソルベとジェラートに合わせる顔がない。
ホルマジオは呆れつつも笑ってくれるだろうが、プロシュートからは説教されてしまうに違いなかった。
リゾットの脳裏を掠めた彼らのことはプロシュートがどうにかしてくれるだろう、と踏んで、部屋の灯りを消す。
この部屋から、そして暗殺者として生きた日々から持ち出すものなど何もない。あの日々で唯一空虚でないものがあったとしたならば、それはきっと『彼らの存在』そのものだ。
リゾットが静かに息を吐いて、文字通り、暗闇に消えてからきっかり三分後、部屋の隅で炎が揺らめき始めた。
*****
これから夏本番がやって来るのだとは到底思えぬ程、ジリジリと肌を焼く音すら聞こえてきそうな強い日射しの中、まだまだ青く小さい葡萄の品定めをしながらリゾットは額の汗を拭い、頭上を見上げた。
真っ青な空と太陽の日射しは容赦なく大地に降り注ぎ、リゾットの眼下に広がる葡萄畑は生き生きとした緑が燃えるように輝いている。
結局あの後、リゾットは生まれ育った島へと戻ってきた。
リゾットの事情をすべて知っていて、それでも迎え入れてくれた葡萄農園で日の出から日没までを葡萄の世話をして過ごし、余暇には本を読んだり、教会へ出掛けたり、近所の子どもや犬や猫たちと遊ぶだけの静かな生活を送っている。
そんなリゾットに対し、周囲の住人も――その過去を知っている者も知らない者も皆同様に――教会や街のイベントを手伝ってくれる普通の好青年として接していた。
数年前までは暗殺者として仄暗い生活していたことが嘘のように規則正しく心穏やかな日々。
今現在、リゾットが営んでいるこの生活に『マフィア』はいない。
正確に言うと、街に『マフィア』は存在するのだが、彼らと積極的に関わることはない。
彼らに便宜を図ってもらおう、と考える住人もリゾットの周囲にはいなかったし、そもそも、この農園がそういうスタンスで運営されている。
だからこそ、リゾットは再びこの島に腰を落ち着かせることになったのだが、マフィアに与して得る治安に異議を唱える人間はどんな場所にも必ずいるのだ。
今はまだそれが『まだら模様』の状況だが、この変化はきっともう止まらないだろう。
あの組織も他のマフィア達も状況に応じてそのあり方を変化させていくのだろうが、それはもう自身が関与し、関知することではない。
初めから自分の――そして、かつての仲間たちの――居場所は彼処では無かったのだ。当時も頭のどこかでそれを考えてはいたのだが、今では確信を持ってそうだと思っている。
そんな敗走の末にこの島へ戻ってきた自分を、そして自分を信じてくれた仲間たちのことを『敗者』と蔑む者はいるだろうが、リゾット自身は『敗者で構わない』とも思っている。
誰も逃げ出さず最後まで戦い切った上での『敗者』だ。だからこれからも、リゾットは『敗者』として生きていくつもりである。
きっとプロシュートはその見解に多かれ少なかれ異を唱えるだろうが、それで良い。地獄で彼とその件について討論する覚悟は、あの日あの時あのメールの送信ボタンを押した時に疾うに出来ている。
パチ、と小気味の良い金属音が響かせて、リゾットは手のひらに納まるまだ小さな房を足元のバケツに放り込む。
リズム良くその作業を幾度も幾度も繰り返し、さらに作業を続けようとした手をふと止めて、広大な葡萄畑を見下ろした。
ここで栽培する葡萄はすべて、一年後には島名産のワインとなる。かつての仲間たちがこの世界のどこかでそれを口にすることを、リゾットは静かに願っている。