トリックのトリート

表紙

くらくらしてきた頭に御手洗は歩くことを諦めて、目に付いたちょうど良い高さの花壇のレンガに据え付けられたベンチスペースに腰を掛けた。
すっかり日の落ちきった駅前は時おり夜風が吹いて少しだけ肌寒いが、終電まではまだあと3時間あるから、ぼぅっとする頭を軽く落ち着かせるくらいの余裕はある。
溜め息を吐きながら、リュックの中からペットボトルを取り出した。
久々のサークル飲み会で、量は飲んでいないはずだが、久しぶりのアルコールに自分自身が思っていたよりも酔っていたらしい。友人らと少し早めに別れて正解だったかもしれない、と考えながらぼんやりと夜の駅前広場を眺める。
足早に広場を抜けていく人影。
誰しもが花壇のベンチに座る酔っ払いの青年に興味など無さそうな顔をしている中、散歩のついでに家族の誰かを迎えにきたらしい女性のリードの先にいる犬だけが興味深そうに周囲を気にしていて、そんな犬とふと目が合った。小さく尻尾を振って挨拶してくれた犬にそっと手を振り返して、視線をその向こうのバス乗り場の方へ移す。
ちょうど到着したらしいバスのランプが赤く光っていた。眩しい光の中に、それなりの人数の乗客が立っているのが分かる。
すっかり冷めきっていたペットボトルの緑茶に口を付けて、御手洗は帰路を急ぐ人で賑わうバス乗り場ではなく広場の様子を観察することにした。
駅前の小さな広場はハロウィンらしく装飾されていて、カボチャのランタンや白いシーツを被ったようなお化けや黒猫の置物が楽しそうな顔をして並んでいたが、さすがにこの時間に仮装した子どもたちはもういない。ハロウィンイベントも全てが終わってしまった後のようだった。
カボチャのランタンたちも日付が変わる頃には撤収されて、入れ替わるようにクリスマスの準備が始まったら、もう年末だ。
一年が過ぎるのは思っているよりずっとずっと早い。
そうして、そうこうしているうちにまた新しい一年が始まるのだろう。
今年の冬の帰省はどうしようかな、と考えながら、頭上に広がっているはずの夜空を見上げる。
月は少しずつ太り始めたところ、だろうか。
真ん丸までにはまだもう少し掛かるせいか、夜空は御手洗が思っていたよりも暗く、冷たい。
そんな夜空や月より明るい街灯に辟易しながら目を閉じて深呼吸してみれば、肺が冷たい空気で満たされていった。
ゆっくりと瞼を開ける。
相変わらず、帰路を急ぐ人影が行き交う広場。
そういえば今年はまだカボチャのクッキーを貰っていない。
ふと思い出した。
近所のパン屋さんが毎年この時期に作る平凡で小さな焼き菓子くらいで一喜一憂するような年齢でもないし、こちらから『ちょうだい』とせがむつもりもないけれど、3年前に再会してそういう関係になってから何故か毎年用意してくれていたから、貰えないなら、それはそれでなんとなく寂しい気はする。
別にそのクッキーが特別美味しい訳ではない。
好物、という訳でもない。
それなのに、貰えることが当たり前になってしまったせいなのか、御手洗の頭の中でその存在と『今年は貰っていない』という事実が大きくなってくる。
そんな自分に嫌気が差して、御手洗は直前に考えていたことを思い出そうと小さく頭を振った。
――そうだ、今年は帰省するかどうか考えていたんだっけ。
ペットボトルのお茶を飲み干す。
――いっそ彼と帰省してみようか。
そんな大胆なことを考えて、結局すぐにそれを打ち消した。
御手洗としては家族にどう思われても――仮に疎遠になったとしても――構わないのだが、彼の方が嫌がるに違いないし、そもそも誰にも知られなくていい関係だ。
ふたりの関係は今のところ天沼しか知らない秘密の関係だが、この関係がこのまま3人しか知らないまま終わってしまっても構わない、と御手洗は思っている。
小さなアパートの一室で一緒にコーヒーを飲みながらカボチャのクッキーを食べて……、そういうふたりでいい。
隣にいてくれるのならばそれで十分だし、その一方で彼が遠いところに行ってしまったとしても――寂しくは思うけれど――、それでも構わないと思える。
彼がどう考えているのか、正直なところ御手洗にはよく分からなかったが、昨日も同じベッドで寝ていたのだから、たぶんそういうことだ。
つまり、彼の存在や言動や行動が御手洗の『日常』に組み込まれたのと同じことが、彼にも起こっている、ということ。
ぼんやりしている御手洗の視界の中の無数の靴たち。
駅舎から出てくる靴、駅舎へと向かう靴……。余計な動きをする靴は見当たらない。皆揃って、目的地へ一直線の同じような靴ばかり。
その中の一つ、見覚えのあるスニーカーがこちらに向かってきて、目の前で動きを止める。
――今日は仕事が忙しいから帰る頃には日付が変わる、って言ってたのに、嘘つき。
『カボチャクッキーの恨み』を晴らそうか、と顔を上げた御手洗が口を開くのと、刃霧が声を発したのは同時だった。
「「トリック・オア・トリート。」」