Qがその開けた視界から認識した最初の景色は、穏やかな日の光がカーテンの隙間から差し込む薄暗い寝室のフローリングだった。
細長い光は床から乱れたベッドの上まで、一直線に続いている。
何もない、いつも通り晴れた日曜日の朝の光景だ。
この世界で何が起ころうとしていたのか、なんて大多数の人々が知らないだろうが、そんなことはその大多数の人々に――知らないだけでそうではないのだろうが――関係のないことでもある。
まだ怠い、と愚痴る身体を無視して上半身を起こす。
お腹が空いたし喉も渇いた。それに、何より愛おしい猫たちに朝ご飯を用意しなくてはならない。
Qは隣で眠る男を横目に大あくびをして身体を伸ばした。
自身の性的嗜好がバレたのは、何より自身の不注意から招いた事態だったので仕方がない、と納得はしている。しかしそんなことより何よりもQにとって意外だったのは、隣で眠る男――つまり007――が男もイケることだった。
流石は一流エージェント、といったところか。業務でそういうスキルが必要ということもあるのかもしれない。幸か不幸か、今のところ他人の家の寝室のベッドの上でだらしなく寝そべるこの男が『仕事場』でそういう情事に臨む場面にはまだ出くわしてないのだが、それはともかく007とQの間で『そういう』関係はなんとなく始まり、今この瞬間に至るまでなんとなく続いている。
疾うに覚醒しているくせに寝穢く眠っているふりを続ける男に溜め息を吐きながら背を向け足を下ろして、ベッドの縁にかろうじて引っ掛かっていたTシャツを手に取った。
Tシャツを掴む自身の骨っぽい腕や指が目に入る。
どう見たって柔らかくもなければ艶かしさの欠片もない、運動不足で引きこもりで栄養不足気味の男の腕。
Qとて恋人がいたことはあったし、現在隣で寝ている男以外の男だって何人も知っている。
けれど、女としては言うまでもないが男としても、お世辞にも『セクシー』とは言い難い、薄っぺらくて生白くて骨っぽいばかりの硬いギークの身体によくもまぁ、とQが半ば呆れていることをこの男は知っているのだろうか。
ちなみに、現在のところQに特定のカレシはいないので『人妻』という条件――正確には異なるが『他人のもの』という観点で見れば同じことだ――は満たしていないはずなのだが。
「なんで抱くんですか?」
ふとした疑問だ。
そして当然の帰結でもある。
だがQとしては答えなどあってもなくても構わなかった。男がその本心を語る日など永遠に来ないに違いない。もちろん、Q自身にも答えを出すつもりはない。
そんなQの心の内を見透かしたように男が身動ぎして、シーツが緩く動く。
脱ぎ捨てられた上等なジャケットがまるで嫌みのように床に落ちているのが、腕に続いて頭を通そうとしたTシャツの向こうに見えた。きちんとケアすれば皺も汚れも取れるだろうが、007がアレに腕を通すことはきっともうないだろう、とぼんやり考える。汚したのはQだが、原因は007本人なのでどうでもいい問題だ。
Tシャツを被るQの後ろで、男は欠伸を噛み殺すように一言ポツリと呟いた。
「……面白いから、かな。」
ずいぶんと雑な、そして――それが恋人がするようなものでないにしろ――セックスの相手に対して失礼な答えである。
だが、そもそも自身が投げ掛けた問いそのものが雑でいいかげんなものだったのだから、それを糾弾する資格などないのだ、ともQは思った。
相変わらず、窓から差し込む休日の光は静かだ。
何も知らぬふり。
けれど、何も知らない世界はそれはそれで優しいのだ、ということも知っている。
「なるほど。」
Qは抑揚のない口調でそう答えると、いつの間に寝室に忍び込んでいたのか、疾うに事が終わっていることなどお見通しな様子で足元にすり寄ってきた猫を抱き上げた。