屋上のドアノブに手を掛けたところで、ライターを忘れたことに気が付いた。
戻るのも億劫だし、『まぁ、いいや』と思いながら、そのまま扉を開ける。
目に入ったのは、雲ひとつなく晴れた真っ青な空と、黒髪で背の高い、見慣れた教え子のシルエットだった。
「あれ、多串クンじゃん。」
銀八がそう声を掛けると、土方はゆっくりと振り返った。
「げ。
銀八かよ。」
手に持ったタバコを隠すでもなく、堂々と紫煙を吐き出す。
「授業どーした?」
「自習。
銀八こそ、授業ねぇの?」
「そーそー。
つかさ、多串クン。
一応、オレは君の担任だからね。
そのタバコ隠そうとする位はしてくんない?」
銀八はいつも通り、やる気の無さそうな表情でそう言いながら、土方の隣に並ぶ。
「今更じゃね?」
土方は短く言い、空を見上げる。
「うーん、まぁそうとも言うな。」
気怠そうに言いながら、タバコを口に咥える。
「火ぃ貸してくんない?」
土方は何も言わず、胸ポケットからライターを取り出し、銀八の方に向けて火を点ける。
慣れた手付きだった。
「あんがと。」
気のない声で礼を言いながら、銀八はその火に咥えタバコを近付けた。
2つの煙が、ゆらりと青空に昇っていく。
屋上に2人、無駄な会話はしない。
彼の周囲はいつも賑やかなように見えたが、実際賑やかなのは近藤や沖田であって、物静かで寡黙なのが彼自身の本質なのだろうと銀八は考えている。
静かな時間が流れる。
2人の影がくっきりと屋上に写し出されていた。
タバコの煙以外は何も動かない。
銀八はこの時間が嫌いではなかった。
こうして教え子の喫煙を許してしまう程には、この時間が気に入っているし、こうして遭遇できた日は『ラッキー』と思ってしまう自覚はあった。
まるで切り取られたかのように静かな世界を壊すかのように、遠くでチャイムの音が鳴り出すのが聞こえた。
土方が先に動き出す。
いつもなら、土方は「じゃあな」と言って足早に屋上を去る。
でも、今日はいつもと違った。
土方は胸ポケットからタバコとライターを取り出して、銀八の目の前に突き出す。思わず手を伸ばした銀八に、半ば強引に、土方はソレらを手渡した。
「やるよ。」
銀八は渡されたタバコとライターに視線を落とす。
「・・・いーの?」
「一応、受験生だしな。
今日で最後、もう此処には来ねぇよ。」
確か、彼の志望校は国立大だった。
銀八はぼんやりと思い出す。
彼の今の成績だと、一応合格圏内だが余裕もない、そんな感じだったはずだ。
「そっか。
まぁ頑張れよ。」
「・・・担任のクセにずいぶんと他人事だな。」
土方が笑いながら振り返る。
「いや、まぁだって実際、他人事だし?」
銀八がそう返すと、土方は一瞬呆れたような表情をして、また笑顔に戻る。
「お前、教師のクセにサイテーだな。
ま、銀八らしいけど。」
お前にオレの何が分かるんだよ、そう胸の内で思いながら、何も言わず土方の背中を見送る。
一人取り残された屋上で、銀八はぼんやりと空を見上げた。
タバコの煙がゆらりと青空に昇っていくのが、視界の隅で見える。
オレも多分もう屋上には来ないだろうな、と、銀八は他人事のようにそう思いながら、目を閉じた。