SS:万山 - 1/2

原作

「海見たい。」
趣味の悪い、大きなベッドに仰向けに横たわったまま山崎が口を開いた。それは事後の気だるさを隠しもしない声音だった。
「拙者はそんな気分ではござらんな。」
既に起き上がっていた河上は抑揚なくそう言いながら、三味線と弦を弄っている。山崎の方には振り向かなかった。
表向きの仕事の準備か、あるいは。
山崎は緩慢な様子で起き上がると、その緩慢な動きのまま河上の横に座り、側にあった撥を手に取った。
緩慢な指先で撥の縁をなぞる姿を横目に見て、河上は手を止める。
その撥は仕込み撥で、今まさに彼がなぞっている場所から、小さいが喉を切り裂くには十分なサイズの鋭い刃が出るようになっている。
少しだけドキリとしつつ、『彼がそんな事に気付かぬ訳がない。』と思い直して、再び手を動かし始めた。
「すげぇなぁ。コレ本物の象牙だろ?」
「ん。あぁ、そうでござる。」
「良いなぁ。
 俺なんて、プラスティック製の安物しか使ったことねぇよ。
 今年も予算回ってこんかったしなー。」
そう言って、緩慢な動きで撥を持ち上げて、中を見透かすように見つめる。
「退殿は三味線が弾けるのでござるか。」
「ま、必要に応じて。
 監察ナメンなよ。」
『すげぇなぁ。』と言ったわりには、大して興味も無さそうに、手のひらで撥を弄ぶ。
暫くの沈黙の後、河上が音もなく立ち上がった。
山崎は少しだけ撥から目を逸らして、『急にどうした』と問うように、河上の顔を見上げる。
「気が変わった。
 海を見に行くでござる。」
その様子に、山崎はクスクスと笑いながら仰向けに寝転がる。
「何だよ。
 自分勝手な奴だな。」
「先に海を見に行こうと言ったのは、退殿でござる。」
手に持った撥から目線を離さぬまま、山崎は笑いながら「気が変わったー」と妙に間の抜けた声で答えた。
「なぁ。」
不意に真面目な表情で、山崎が河上の目を見つめる。
「この撥くれよ。」
仕込みはともかくとして、この撥は手のひらによく馴染んでいて、河上自身も気に入っていたモノだった。
が、そんな素振りは微塵も見せずに、河上は「構わぬ。」と短く答えてから、「こんなもの事務所にたくさん転がっておる。」と続けた。
「なんだよー。やっぱ金持ちは違うなー。」とぶつぶつ言いながら、不貞腐れる山崎に覆い被さるように、河上はベッドに乗り上げて、山崎の空いている方の手に自分の指を絡めた。
「その代わり。」
山崎もその河上の指に答えるように、自身の指に力を込める。
「大事にすると約束して欲しいでござる。」
山崎は「もちろん。」と答えながら、撥を枕元に静かに置くと、その空いた手を河上の背に回した。