ままごと

探り当てたケースには煙草が一本もなくて思わず舌打ちした。
同居人であり、恋人でもあるフーゴは煙草を吸わないから、居ない今がゆっくり吸えるチャンスなのに。
イルーゾォは自身の準備の悪さを呪った。
昔も今も、肝心な所で詰めが甘いのだ。
溜め息と共に、空のシガレットケースをベッド脇に置いているゴミ箱に投げ捨てると、カツンと小さな金属音が響いた。
どうせ安物のケースだったし、いつかは禁煙しようと思っていたから、惜しくはなかった。
今こそ禁煙を始める良いチャンスなのかもしれない。
イルーゾォはそう思い直すことにした。
フーゴはもう部屋を出た後で、窓からは明るい日差しが燦々と降り注いでいる。
日差しの角度からして、正午にはまだ時間があるはずだ。
フーゴが出てから、せいぜい1時間程度しか経っていないはずなのに、部屋は妙に無機質で、初めからイルーゾォ独りしか存在していないかのように静かだった。
まるで、自身のかつての相棒が作った世界のようだ。
はっきりと、ではなかったが、イルーゾォは前世の記憶を持っていた。
昔の仲間の中には、イルーゾォより明確に記憶を持っている者もいたし、イルーゾォより更におぼろ気にしか覚えていない者もいたが、それでも、平和な世界でまた皆と出逢えた事に、イルーゾォは満足していた。
唯一、不満があるとするなら、前世の彼の相棒であったスタンドが傍に居ないことだった。
イルーゾォにとって、スタンドは『全て』だった。
彼の自信も、プライドの高さも、それ故の傲慢さも、全ては彼の優秀なスタンド能力故だった。
お陰で、今世の彼はホルマジオから「気味が悪い」と悪態を吐かれるほど、無口だった。
そして、ホルマジオの悪態に何も言い返せず、それを隣で聞いていたプロシュートとペッシがイルーゾォにフォローを入れてしまう位、ネガティブでもあった。
そんなイルーゾォが、偶然、街中ですれ違ったフーゴを呼び止めた。
メローネやギアッチョらはともかく、前世でも今世でも割と社交的なホルマジオですら、ナランチャの存在に気付いてはいても近付こうとはしなかったらしいから、イルーゾォの取った行動は、自身の仲間達からはおろか、ブチャラティ達からも訝しがられた。
イルーゾォ自身、はっきりとその行動の意味を説明できる訳ではなかったが、昔の仲間達と再会したのと同じように、ブチャラティチームの面々と再会するのも運命なのだろうと受け止めている。
とりわけ、フーゴに対しては運命以上の繋がりがあるように感じた。
もちろん、前世におけるフーゴと自身の関係性は分かっている。
自分は彼のスタンドに殺された。
前世の記憶をはっきりと明確に覚えていないイルーゾォではあったが、唯一、最期の記憶だけは、今世でも生々しく心に残っている。
自分の身体が溶け落ちていくその感覚で、夜中に泣きながら目を覚ますこともあるくらいだ。
だから、イルーゾォとフーゴがいわゆる『恋人』という関係に収まることに、メローネとペッシは最後まで心配していたし、ギアッチョは苛立ちを隠さなかった。
ホルマジオやプロシュート、リゾットもソルベもジェラートも、何も言わなかったが、諸手を挙げて祝福という雰囲気ではなかった。
それでも、イルーゾォはフーゴを選んだ。
後悔もしていない。
今だって、フーゴの香りの残るタオルケットを抱き締めながら、ぼんやりと物思いに耽ってしまう位に彼の事を好きだと言える。
フーゴは優しかった。
イルーゾォが悪夢で目を覚ました時は優しく抱き締めて背中を擦ってくれるし、「独りで寝るのが怖い」と言えば、朝まで寄り添ってくれる。
あの冷蔵庫だって開ければきっと、イルーゾォのお気に入りの店のティラミスが入っているのだ。
それなのに、自分はフーゴに何も返せていない。
燦々と降り注ぐ日差しとは対照的に、イルーゾォの思考は仄暗い方へと落ちて行く。
フーゴはどうしてこんな、卑屈で陰鬱な自分と一緒にいてくれるのか。
こんなおままごとに、彼はいつまで付き合ってくれるのだろう。
イルーゾォとフーゴが出逢ったのは本当に偶然だったが、イルーゾォはそれを運命だと受け止めている。
フーゴはあの時どう受け止めたのだろうか。
フーゴがイルーゾォの告白に応じたのは、イルーゾォに対する贖罪だったり、憐れみのようなものだったのかもしれない。
確かめるのが怖くて、そういう意味で確認したことなんて、一度もなかった。
イルーゾォが物憂げな視線でフーゴの背中を追えば、フーゴは何も言わずに抱き締めてくれる。
キスだってセックスだって、イルーゾォが望めば何でもしてくれた。
でもフーゴから、そういう言葉や行為をもらったことは無かった。
もしかして、あの時メローネもギアッチョも、他の仲間だって、そういう事を心配していたのだろうか。
今さら思い至って、イルーゾォは自嘲気味に笑った。
スタンドもいない今世では、頭までまともに回らなくなっているのかもしれない。
前世では生を受けたその時から、全てが溶け落ちるその瞬間まで傍にいたのに。
いっそのこと、人ではない何かに生まれ変われれば良かった、そうであれば、フーゴと再会して、こんな気持ちになることなんかなかった、と、そう考えて、静かな部屋で独り静かに深呼吸をする。
明るい日差しが、少し前までフーゴが寝ていたはずの場所に降り注いでいて、なんだか無性に泣きたくなった。

(生まれ変わったらアオスジアゲハになりたい)