ままごと

汗をかく麦茶のコップを指先でなぞる。
コップの表面にできた一筋の線をかき消すように、今度はコップを握った。
氷は疾うに溶けていて、麦茶はその本来の色よりも大分薄くなっている。
テーブルの上には封を開けただけのスナック菓子が所在無さげに置かれたまま。
自分で用意したものの麦茶にも菓子にも手を付ける気になれなくて、フーゴはコップから手を離すと、隣の寝室に目を向けた。
今晩も、イルーゾォは自分が溶け落ちる悪夢を見て、泣きながら目を覚ました。
優しく抱き締めて、背中を撫で続けて、今日は1~2時間程で治まったが、元来眠りの浅いフーゴは何となく眠れなくなってしまい、こうしてリビングでぼんやりと朝が来るのを待っている。
イルーゾォは自分の死因と最期の時以外はぼんやりとした記憶しか残っていないようだったが、フーゴは昨日の事のようにはっきりと覚えていた。
自分が見た事、特にポンペイで起こった事はすべて子細に説明することができる。
だから初めてイルーゾォに声を掛けられた時、フーゴは少し驚いた。
話し掛けられた事にも驚いたのだが、それ以上に、目の前の男の変わりように驚いた。
フーゴの記憶の中でのイルーゾォはもっと自信満々で傲慢な男だったのに、今世の彼はフーゴが記憶違いだったかと思うくらい物静かで、憂鬱そうな目をした男だった。
だが、2人で会って、話を交わすようになってすぐに気が付いた。
彼はふとした拍子に街頭のカーブミラーに視線を遣ったり、鏡が無ければそれを探すように、無意識に視線を彷徨わせる事があった。
前世はおろか、スタンドのいない今世ですら、自身のスタンドを受け入れることに躊躇したフーゴでも、イルーゾォのその行動に簡単に理由を付けることができた。
あの時、彼はあれを「死の世界だ」と言っていたが、あれはきっと彼の『シェルター』だったのだ。
そう考えれば、前世の彼の言動にも、今世の彼の言動にも納得がいった。
自分を守ってくれた上に、自信をも与えてくれたスタンドがいないのでは、きっと彼はこうなるしか無いのだろう。
そんな結論に至ったせいか、イルーゾォから告白をされた時も驚いたものの断る気にはなれなくて、フーゴはイルーゾォを受け入れた。
仲間たちからは大いに訝しがられた。
アバッキオにははっきりと反対されたし、ナランチャやミスタには遠回しな表現で考え直した方が良いんじゃないかと言われた。
ジョルノとブチャラティ、トリッシュは何も言わなかったが、やはり引っ掛かっているのだろう。そんな態度だった。
それでも、フーゴはイルーゾォを選んだ。
フーゴ自身、はっきりと言葉で説明出来ない。
こうして2人で暮らすようになった今でも、言語化出来ないままだ。
それどころか今だって、彼は前世の怨みを晴らそうとしているのではないか、と頭のどこかで疑っている自分もいる。
だが、だからと言って、イルーゾォの事を嫌いなわけではなかった。
いつもの憂鬱な表情を少しだけ和らげながら、小さな声で「ありがとう」と言うその顔を見たくて、彼の好きなケーキを買って帰る位には、イルーゾォの事を想っている。
そんなフーゴに、仲間たちは皆一様に呆れているようだったが、フーゴは何も言えなかった。
このままリビングで朝を迎える事に不毛さと遣り切れなさを感じて、フーゴは溜め息を吐いて立ち上がる。
テーブルの上は起きた後に片付ければ良い。
きれい好きで神経質なイルーゾォは気にするかもしれないが、そうなった時に謝れば済むだろう。
そう考えて、フーゴはリビングの明かりを消し、静かに寝室のドアを開ける。
満月のせいか、暗い部屋の中でも案外簡単にベッドの上のイルーゾォの位置を確認する事ができた。
ベッドの近く、イルーゾォの顔を確認できる場所に椅子を置いて座る。
そう言えば、イルーゾォの本心を確認しようとした事も、イルーゾォに対して自分の本心を口にした事も無いな、と思い至って、自嘲気味に笑う。
まるで、すべてがままごとのようだと思った。
穏やかに眠るイルーゾォの頬を少しだけ撫でて、フーゴは溜め息を吐いた。