コンクリートの壁面に波が当たって砕ける様子が辛うじて分かる暗闇の中で、イルーゾォは不満そうに唇を尖らせた。
「これが『海』かよ。」
暗殺なんて血生臭い生業をしているせいなのか、夜目は利くので、今自分達が立っている場所の様子を把握することは出来るから、暗闇の中でも特段不便な事はない。
だがその一方で、イルーゾォの不機嫌をあからさまに察してしまう事も出来てしまうので、それはそれで厄介な問題だった。
イルーゾォの不機嫌とギアッチョの苛立ちが暗闇の中で相互に交じり合い、不協和音を奏で始める。
「うるせぇ。
こんなとこでも連れてきてもらっただけ有り難く思え。」
ギアッチョはそう吐き捨てて、すぐ傍にあったボラードに浅く腰を掛ける。
ギアッチョの車はソルベとジェラートが持ち主に無断で仕事で乗って行ってしまった為に、ギアッチョは仕方無しにメローネからキーを奪うように、半ば強引にバイクを借りてまでして、イルーゾォをここまで連れてきてやったのだ。
もうベッドに入って寝るつもりだった仲間を深夜のワガママに付き合わせてこんな所まで連れてきてもらった事に、イルーゾォは感謝こそすれ、文句を言えるような立場ではない。
ギアッチョがイルーゾォに睨み付けるような視線を送れば、その視線を受けたイルーゾォはつまらなそうに小さな溜め息を吐いただけだった。
その様子を察したギアッチョは、苛立ちを紛らわせるように足元の小石を蹴り上げる。
ギアッチョの爪先に触れたその瞬間、小さな氷の塊と化した小石は、少し大きめの水音を立てて、海に沈んでいった。
イルーゾォは今度は呆れたように大きめの溜め息を吐いたが、ギアッチョはもう何も言わず、地平線があるはずの方向に視線を移す。
それは、これ以上お前とコミュニケーションを取るつもりはない、というイルーゾォへの意思表示である。
イルーゾォも性格はひねくれているものの、引き際はきちんと弁えている奴でもあるので、それ以上、ギアッチョの神経を逆撫でする態度を取る事はないだろう。
実際、イルーゾォはこれ以上愚痴るでも態度で不満を示すでもなく、ギアッチョから距離を取るように、少しだけ離れた。
少し離れた2人の間に、湿度の高い、じっとりとした暗闇が横たわる。
先ほどまで鳴り響いていた不協和音も、ギアッチョが手に持っていた炭酸水のボトルのキャップを開ける小さな音も、その暗闇に呑まれてしまったように感じて、ギアッチョは生温くなった炭酸水を一口だけ飲んで、その暗闇を睨み付けた。
その向こうに、イルーゾォの姿が見える。
ギアッチョはイルーゾォに嫌われていると思っていた。
ギアッチョの知っているイルーゾォは、いつも眉をひそめて、向かい合う度に不機嫌そうな目でこちらを窺っている。
彼がそんな表情をするのは、自分に対してだけだ。
他のメンバーに対しては、冗談を言い合ったり、笑いあったり、和やかな表情を見せている。
だからギアッチョも、そんなイルーゾォに冷たく接しようとしているのだが、何故かその赤い目に、じぃっと見つめられると、どうしても逆らえなかった。
そんなギアッチョに、ソルベもジェラートもホルマジオもメローネも笑うだけ。
リゾットとプロシュートは面と向かってギアッチョを笑うことはなかったものの、たまに呆れたように溜め息を吐いている事をギアッチョは知っている。
腹立たしいこと、この上なかった。
暗闇を睨み付けたまま押し黙るギアッチョの目の前で、ギアッチョと同じように黙ったままのイルーゾォは一歩二歩とゆっくり歩を進めて、コンクリートの岸壁の縁に立った。
まるでギアッチョの存在など気にも留めていないような横顔だ。
波音と潮の匂いがしなければ海とは気付けないかもしれない黒い空間には、ギアッチョとイルーゾォの2人しか存在しない。
イルーゾォはコンクリートの縁のギリギリの所に立ったまま、黙って真っ暗な海の方を見つめている。
その白い横顔を見つめているうちに、なんだかそのままイルーゾォが目の前に広がる暗闇に――いつも鏡に消えるのと同じように――消えてしまいそうな気がしてきて、ギアッチョは思わず立ち上がると、その勢いでイルーゾォに腕を伸ばす。
ギアッチョが触れたその白い手は、やけに冷たかった。