新米と秋刀魚

ご飯の炊ける香りと炭火の香ばしい香りにつられるように、死々若丸は台所を覗き込んだ。
「腹減った。」
「もうちょっと待っててくれ。」
七輪の側でしゃがみ込んでいた鈴木はそのままの態勢で顔を上げる。
今日の夕飯担当は本来なら死々若丸の順番だったのだが、昨晩色々なやり取りと一悶着があった末に最終的に鈴木が担当することになった。
死々若丸は表面上は苛立ちを装いつつ鈴木の周囲に視線を移すが、そんな演技など鈴木も見抜いているので、死々若丸の機嫌を取るようなことはせず、しゃがみ込んだまま七輪の上の魚の様子を確認すべく、再び視線を落とす。
死々若丸はそんな鈴木のことを無視するように視線を、まるで手探り状態の子どものように、台所の隅々まで彷徨わせる。
握り飯と味噌汁と漬け物、がデフォルトで、たまに気分が乗れば煮物も付ける、というのが死々若丸のスタイルなのだが、鈴木はいつも妙に手が込んだものを作ってくる。
今回も変にややこしいものを作っているに違いない、と勘繰って台所を観察するが、その様子は死々若丸の予想に反して、実にシンプルな状況だった。
これから味噌を投入するのであろう出汁の入った手鍋、その隣では土鍋がグツグツ音を立てているが、これは白米だろう。
そして、足元に置かれた七輪の煙の隙間からは油で美味しそうに光る魚が見える。
献立の内容自体はシンプルだが、その手順にやたらと手間が掛かっているあたり、彼らしいと言えば彼らしい気がした。
死々若丸はその出自のせいもあってか、シンプルな和食を好むのだが――鈴木はどうなのか、正直なところ死々若丸には分からなかったが、『鈴木』と名乗るくらいなのだから和食を好みそうではある――、いくらなんでもこれはやり過ぎな気もする。
だいたいご飯を炊くなら炊飯器でいい。
炊飯器もきちんと常備しているし、焼き魚だってコンロに付いたグリルでいいし、フライパンでもいい。その為のグリルやフライパンである。
それで十分だ。
死々若丸が鈴木のことを胡乱げな視線で見つめれば、鈴木はその意図が分かったような顔をして、へらりと笑い掛けた。
「今日、幻海さんとこにお使いに行ったらさ、『食いきれねぇから持ってけ』って米渡されて。
 新米だし、秋刀魚も新鮮なのが手に入ったし、せっかく旬ならすべて完璧な状態のものを食べたいだろ?」
魚の焼ける良い香りが死々若丸の鼻腔を通して、頭と腹を刺激する。
鈴木のその意見も分かるし内容も悪くはないのだが、『はい、そうですね』と素直に納得するのもなんだか癪な気がしてきた。
そもそも、本来なら当番でないはずの彼が此処で夕飯の準備をしているのは彼自身のせいなのであり、それで機嫌を取れる、と思われるのは自身の精神衛生上、よろしくない。
「……これで昨晩のことをチャラにするつもりはないからな。」
始めから手伝う気のない死々若丸はそれだけ言って、台所を出ていった。

結局、卓袱台の上にそれらの料理が乗ったのは、死々若丸が台所を去ってから30分後のことだった。
外はすっかり真っ暗で、暗闇からリンリンと虫の大合唱が響いてくる。
死々若丸は改めて卓袱台の上を見回した。
味噌汁の具は死々若丸の気に入っている豆腐屋の絹豆腐だし、秋刀魚は良い具合に焼けているし、白米は茶碗の中でキラキラと艶めいている。
鈴木の宣言通り、完璧な食卓である。
「幻海さんとこにあった新米だから、格別に美味いに違いないぞ!
 いただきます!」
妙にテンションの高い鈴木に呆れたような視線を送ってから、自身も箸と茶碗を手に取り、白米を頬張る。
わざわざ土鍋で炊いた新米なのだが、そもそもこの器用で凝り性の男が美味しくないものを作るはずがない。
白米に限らず、味噌汁も秋刀魚も、秋刀魚に添えられた大根おろしですら、不味いわけがないのである。
確かに美味いのだが、素直に誉めて、この男が調子に乗る姿を見るのもまた癪だった。
「……いつもと変わらん。」
そう言って2口目を口にする死々若丸の様子に、鈴木は小さく笑いながら、自身もご飯を口一杯に頬張った。